人間は生まれながらに平等ではありません
まず、容姿や才能が違います。

当然、容姿や才能は良い方が人生有利ですよね。
才能はもちろん、容姿の良さでも生涯これだけ得をするといった意見もありましたし。

また、男女の差なんかもそうですね。
男女平等といいながらも全く平等ではありません。

国によってはこの不平等が物凄いところもありますし。
あとは生まれもそうですね。

お金持ちの家と貧乏の家に生まれるのでは、幼少期の教育環境なども全く違ってきますし、それがその後の人生にも影響しています。

初めから存在しない平等を求めてどうする

世の中は平等ではない!
とはいえ、それを嘆いても始まりません。

そのことに文句を言ったところで状況は変わりませんし、平等をなくそうと声を挙げたところで全ての不平等はなくすことはできません。
才能や容姿などですね。

なので、不平等なのを受け入れる。
不平等を受け入れた上で、前向きに生きていく・・・なんていうのがよく話しです。

ただ、それだと結局、弱者は強者に勝てません。
勝つにはさらにもう一歩踏み込む必要があるのです。

不平等ならそれを利用する

初めから存在しない平等を求めてどうする。不平等ならそれを利用しなくてどうする (参照元:喧嘩稼業)

こちら僕が現在一番はまっている格闘漫画『喧嘩稼業』に出てきたセリフ。
不平等を受け入れるだけでなく、さらにそれを利用する。

これが弱者が強者に勝つための弱者の知恵ですね。
まともに勝負したら、実力や才能がある強者の方が勝つだけですから。

だったら、その差を埋めるために策などを用いるのは当たり前のことです。
何度も言いますが、まともやっても勝てないのですから。

負けの美学や卑怯といった言葉は周りが勝手に言っているだけ。
当事者でそんなことを気にする人はいません。

正々堂々なんて強者の屁理屈

そもそも正々堂々といった言葉が強者の屁理屈なのですよね。
喧嘩で素手の相手に武器を持って挑んだら正々堂々ではなく卑怯ですよね?

だったら、才能がある人が才能が無い人と同じ条件で競うのも卑怯でしょう。
なぜなら、才能がある人は才能という武器を持っていて、才能が無い人はその武器を持っていないわけですから。

正々堂々なんていう言葉で誤魔化していますが、結局はこういうことですよね?
僕たちは知らず知らずのうちに、こういった強者の論理に感化され、これが美徳のように考えています。

人・仕事・会社・国などなど、人生において様々な強者と戦わないといけない場面があります。
そんな時はまずは自分が弱者だということを認識し、そしてこういった強者の論理から抜け出しましょう!

強者と戦うためには弱者の知恵が必要なのですから。