『疑うより信じていたい』
信じる=良いこと、疑う=悪いことという価値観から生まれた言葉です。

特にその対象が人だとさらに傾向が強まります。
『人を疑うより信じていたい』といった具体に。

一見これはとても良い言葉に見えます。
しかし、実はとんでもない落とし穴が潜んでいるのです。

信じるためにすべてを疑う

あらゆるものを疑ってかかること。
それが重要だ。
情報なんて所詮は情報。
テレビで言っていることが真実だなんて大間違いだ。
自分の目を見開いて、見聞きして、世界をかっぽじること。
そして自分の脳を使って考えること。
すべてを疑いつくした後、何かを本当に信じることが可能なんだ。
そう、信じるためにすべてを疑うのだ。
(参照元:カウボーイビバップ)

情報はしょせん情報。
どんなに良さそうな内容の情報でもそれが本当に正しいとは限りません。

人と比較すると、対象がこういった無機物だとまだ疑うことにも抵抗ないのではないでしょうか?
特にテレビの情報が真実だと思っている人は今はかなり少ないでしょう。

東日本大震災の辺りからテレビなどのメディアの信頼感は一気に失墜しましたからね。
どんな情報でもすぐに信じるのではなく、自分の頭で考えることが大事。

何でもかんでも信じていると思考能力が衰え、自分でまともに考えることができなくなります
疑うということは疑問を持つということ。

疑問を持つということは考えることに繋がる。
全てを疑いつくした後に真実を見つけるのです。

人を疑うことも決して悪ではない

人を信じる?
いや、人は疑うべきだよ。
多くの人は誤解してるけれど、人を疑うとはつまり・・・その人間を知ろうとする行為なんだ。

「信じる」その行為は紛れも無く高尚な事だ。
しかしね、多くの人間が「信じる」の名の下にやってる行為は実は・・・他人を知る事の放棄。
それは、決して「信じる」行為ではなく・・・無関心。
無関心こそ疑うより、はるかに忌々しい行為である事に多くの人間は気づいていない。

疑うことは決して「悪」じゃない。
本当の「悪」は他人に無関心になる事なんだ。
(参照元:LIAR GAME(ライアーゲーム))

人を疑うのは悪いこと。
情報などの無機物相手と違い、人が相手だとまだまだこう思っている人も多いですね。

ただ、人に対しても疑うことは大切。
人も疑いつくすことでその人の本性が見えてくるのです。

上の引用でも書いていますが、人を疑うとはその人間を知ろうとする行為ですからね。
逆に多くの人がやっているのが、信じると見せかけたただの無関心。

これを自分の周りで考えてみましょう。
よく『今度飲みに行きましょう』『時間が出来たら遊びに行きましょうよ』などと誘って来る人。

こういった人は明るく、人当たりも良さそうに見えるため、好感を持つ人も多いと思いますが、単純に社交辞令だったというパターンも多いですからね。
それは完全にあなたに無関心です(そして、こういった人はけっこう多い)

口だけであなたとの時間を真剣に取ろうとしていないわけですから。
逆に口うるさく、一緒にいるのが嫌だな~と思うような人の方が、実はあなたを本当に心配して注意してくれているのかもしれません

こういったことは何も考えずに信じる(無関心)なだけでは見えてきません。
疑い・その人のことを知ることで見えてくるものです。

疑うことは信じるための第一歩

実は信じる=良いこと、疑う=悪いことというのも、常識という名の世の中が作り出したまやかしです。
常識がいつも正しいなんてことはありません。

もっと言うなら、時と場合や人によっても正解は変わります。
こういったことに気付くには何も考えずに信じる(無関心)だけではダメなのです。

まずは疑う、そして考える、その中から見つけた自分の答えを信じてあげましょう。
間違っていたと気付いたら、またすぐに修正してあげればいいだけです。